たった2着購入しただけなのに、3記事もその服について書いてしまいました。
3つも手に入れた服の話をしたからには…そろそろ手放した服の話もしなければいけませんね。
最近私は、3着手放しました。
2IN3OUTで、あれだけ今服が足りていないと言っていたのに、全体の数量はさらに減っているのでした(笑)
手放したのは、長袖インナーが1着(もうだいぶ着古していたので)、ワンピースが1着、フリースが1着。
ワンピースとフリースは秋冬物だったので、先日の私のファッションアイテムリストには載っていないものです。
フリースは以前富士山に登った時に購入したモンベルのフリースです。
登山が趣味なわけではないので、その後は自然満喫系の旅行によく使いましたし、普段着としても使っていました。
けれど、「おしゃれ」の観点から考えますと、私のスタイルでは全くなくて、今度こそ理想のワードローブを!と思っている私にとっては、不要な服でした。
それに、最近は妊娠性アトピーで化繊があまり合わなくなっているし(ただこのフリースは中にインナーを着るからか絶対に着られない!というタイプのものではなかったので取っていました)、ミニマルプラスチックライフを目指す身としても化繊はなるべく持たないようにしたいと思っているので、手放しました。
ワンピースは、大学生の時に買ったものでした。
当時はまだ恋人同士だった夫と洋服を買いに行き、普段はいかないアウトドアのフロアに夫の服を見るためについて行き、ふと目に留まって、買ったノースフェイスのワンピース。
なんともう10年以上も所持していたのです。
私もデザイン的に好きだったし、ちょこちょこ使っていたものの、結婚してからの3年は、「あれ?もうこれ私には若すぎる…?」と思うこともちらちらあった。
それでも若かりし頃の夫との思い出もあるし、完全に似合わない!と言う訳でもなく・・・という絶妙な服で、断捨離を免れていました。
そんな服をじゃあ逆にじゃんじゃん使い倒そうと、コーディネートを考えて使ってみたりして。
妊娠、出産でまた使われない日々を過ごして。
そしたらふと最近急に「手放そう」って思えるようになりました。
10年前の思い出のワンピースがなくても、一緒に買い物に行って笑いあった夫は今も隣にいる。
当たり前だけど、これがなくても今十分幸せって思ったからかな。
なぜだかわからないけれど、急にふと「もう大丈夫」という気がした。
多分私はずっと「若さ」に執着していたように思う。
そんなつもりは全然なかったけれど、今持っている最後のヒールを手放したら、この後はもう楽ちんでかかとを踏んづけちゃうようなそんな靴しか履けなくなるんじゃないだろうか。
昔のようにお洒落な服ではなく、動きやすい服しかなくなるんじゃないだろうか。
そんな恐れ…みたいなのがありました。
多分これも母の影響だと思うのです。
私は高慢にも中学、高校の頃「お母さんみたいにはなりたくない!」って本気で思っていたし、母本人にも言ったことがあった。
母は専業主婦で、いつも自分のことは後回し、いつも誰かのために動いている人。
先日のブログでも書きました通り、身なりだって、子供や夫に新しい服を買うのに、自分にはなかなか買わなくて、いっつも着たきり雀。
掃除、洗濯などの家事を家族が心地よく暮らせるように一手に引き受けて、塾があれば送り迎えをし、姑の具合が悪ければ病院へ連れていき、雨が降れば駅まで夫を迎えに行き…
自分の時間はないように見えました。
そんなのは若い私は絶対に嫌でした。
私はバリバリ稼いで、自分の好きなように生きるのよ!
だから結婚なんて絶対したくないし、ましてや専業主婦なんて…って思っていたけれど、今はあんなに嫌がっていた専業主婦をしているという不思議です( *´艸`)
話がそれました。
だから母と同じ専業主婦になっても、ちゃんとおしゃれしたい、自分の時間は持ちたいという気持ちは強くあった。
いや違うな。本当に欲しかったのは、毎日の身なりでも、時間の使い方でも、とっても小さいことだけど、自分で決めて、自分で行動する自由…権利だね。
けれど、家計を預かるとそうそう服は買えませんし、先日の記事にも書きましたが、<稼いでもいない私なんかが>服を買ってもいいのか?という気分になってしまって、なかなか買えない。
買えないから、さらに今ある服を握りしめる。
という何とも悪循環に陥っていたのではないかな。
ミニマルライフを通じてそういう呪縛?のようなものから少しずつ解き放たれて、今ちゃんと必要な服は私にだって買ってあげてよいという気持ちが出来てきて。
そしたら自然と握りしめていたワンピースを手放せました。
夫だって、今の私に一番似合う服で私が毎日ご機嫌なほうがいいはずだ。
そして実際手放したら、もうオバサン一直線で、素敵な服を着れないわけではなかった。
ちゃんと素敵な服がまた私のもとへやってきた。
ずっと固く握りしめていた服よりもずっといい服が。
良い服というのは、値段が高いとかブランドものと言う訳ではなくて、ずっと今の私を素敵に見せてくれる服と言うこと。
手放せば、手に入れられる。
ミニマルライフをしていて面白いのはここです。
手放して何もなくなったわけじゃない。
TVを見る時間を手放したら、読書をする時間が、刺し子をする時間ができた。
古く似合わない服を手放したら、新しく自分にピッタリの服がやってきた。
クリエイティブの世界では、破壊と創造が大事にされますが、何事もそうなのかもしれません。
まずは、手放す。そして手に入れる。
順番が大事。
お洒落になりたかったら、先ず微妙な二軍、三軍を手放して手放して、手放して。
自分を見つめなおして、それから創造なのだ。きっと。
私は現在手放して、手放して、本当に服はすごく少なくなってしまいました。
これ以上手放すと毎日着るものがなくなってしまうのではないかというほどに。
おしゃれ迷子の期間中に自分を見つめなおして、どんな服がいいのか、どんなスタイルがいいのかも考えた。
まだ完全にはわからないけれど、なんとなく自分の好きなスタイル、方向性はわかってきたような…
だから今年からは創造のターン。
今年から数年かけて作り上げその後は毎年少しずつアップデートするような形がいいなと。
なので、今年、来年、もしかしたら再来年も服の数は増加傾向になるだろうな。
今目指しているのは、今年はとにかく春夏も、秋冬も3セット。
3セットちゃんと作ること。
3セットあれば、お洗濯を加味してもちゃんと暮らせますから。
理想は5セット。5セット内で着まして7セットになれば最高!という感じでしょうか。
なので、今年はいつもより服の話多めの予感です。
ふふふ。楽しくなってきました。