先日書いたブログの中で、『「何にお金を支払うか」そこにその人の人となりや暮らし方が表れてくるように思えるのです。』そんなことを書きました。
簡素な暮らしに取り組む中で、わたしのなかでお金の使い方が変わり、お金の意味も変わってきたから。
独身時代は忙しかったこともあり、あまり考えずぱっとお金を使っていた。
今日は疲れたからうどんでも食べて帰ろう、今月頑張ったしこの洋服買っちゃおう…そんな感じ。
夫と結婚して、夫が稼いできてくれたお金だから大事にしなきゃと独身時代に買っていたような高いコスメや服は買わなくなりました。
けれどお菓子だったり、便利な掃除グッズだったり…そういう細かな価格のものはやはり「よさそう!」と思ってポイポイ購入。
今思えば、結局ゴミが増えていただけだったなと。
お菓子を買っても満足度は低く、なんだかダラダラ食べ続けちゃったりして、体にもよくない。
便利な掃除グッズを買っても、ちっとも家はきれいになりはしない。
そんなダメダメな暮らしを変えたくて、少しずつ少しずつ手放して、途中からはなるべく買わない方向にシフトして、で、今は簡素な暮らしに取組中。
買うものは安価なモノ…ではなく、本当に必要なものは多少お金がかかっても買い長く使う。
そして、その代わり無駄なものには一切買わない。
そういう気持ちで買い物しています。
そうなるとすごくお金に対する考えが変わってきます。
昨日のブログでも書きましたが、我が家の調味料の中では、油が一番こだわっています。
それは、一番使用頻度が高い調味料だし、夫は脂っこい料理が好きだし、私は油に弱い(すぐ胸焼けしたりして食べられなくなる…)から。
これらの油は、どれも大体1000円近くします。
我が家の家計から考えても、普通なら少し高い調味料ですが全然惜しいとは思いません。
品質のしっかりしたもの、昔ながらの圧搾で絞りだしたオイルなら1000円出しても構わない。
スーパーに行けば百円台、二百円台で売ってる油もあります。
しかし、それらの油で料理を作ればなんだか私は胸焼けして美味しく食べられない。
そして大量の溶剤を溶かして油を作っていることも知っています。
そんな科学的に作られた油より、私は昔ながらの圧搾で作られた油をとりたい。
だから、たった100円でもスーパーの油にはお金を払いたくないと思ってしまうのです。
1,000円の油はためらわずに購入できても、100円の油には財布の口がしっかり閉まる。
今後家計が苦しくなって、油にお金を使えなければ、オリーブオイル1本にする。
なるべく油の使用量を控える。その他の調味料をカットする。
そうやって対処していきたい。
なるべくなるべく、100円の油には支払いたくない。
ケチなのでしょうか。
お金の大小ではなく、払う意義を感じるかどうか。そこに尽きると思います。
油のみならず、化学調味料だとか、食品添加物だとか、遺伝子組み換え食品だとか…そういう安全なのかどうかよくわからないものは、なるべく買いたくないと思っています。
だから多少高くても、昔はオイシックス、今は生活クラブで食材を買っています。
「それは安くても質の悪いもの、安全性が疑われるものはお断り」という私の意思表示でもあるのだなと最近そう思うようになりました。
日用品だってそうです。
使い捨てで一瞬でゴミになる様な掃除グッズ、強い洗剤は、家を雑多にし、手肌が荒れて、ついでに地球環境も汚す。
なるべくそういう商品を買わないことで、「私にもお財布にも、地球環境にも優しいものしか買いません!」という私なりの意思表示。
お金は限りがあるし、生活だってちゃんと回していかなければならないから一気に買うものすべてを変えることは難しいけれど、できる範囲で「買わない」という意思表示をしていきたい。
私が加入している生活クラブでは、月に1度『生活と自治』という情報誌を届けてくれます。
この冊子を読むといつも考えてしまいます。
以前は銀行選びの話が書いてありました。
皆さまは銀行を選ぶ際にどういう目的のものにその銀行が投資をしているか考えたことがありますか?
私はありません。
ですが、きっとすごく大事なのです。
例えば私がいくら環境に良いものが好きで、今後の社会は人にも環境にも優しい社会であってほしいと願っていても、私が利用する銀行が環境に悪影響のある商品を作っている企業に融資していれば、その企業は生き残る。
そんな話でした。
すごく胸にずしーんときました。
そんなこと考えたこともありませんでした。
社会を考えて投資をする「社会的責任投資」というのだそうです。
まだまだ日本には認知度もこの考え方も広まっていないから、株をやっている人もそういう観点で投資するのは難しいかもしれない、銀行をそういう点で選ぶのは難しいかもしれない。
いや…「かもしれない。」ではなく、むずかしいです。
この話を読んで自分でも銀行がどんな基準で融資しているのか調べてみたのですが、なかなか見つからないし、見つけたところでどこも同じような言葉が書いてあっただけ。
結局よくわかりませんでした。
だからできる範囲で、考えられる範囲で理想の未来のために行動するのが私たちにできることなんだと思う。
銀行選びは難しくても何か1つモノを買う時、それは一瞬生活を便利にするものなのか子供の代まで残したいものなのか。
私には子供はいませんが、もしいたら私の子供の時代はこんなにスーパーに売ってあるモノの1つ1つの原材料をチェックしなくてもいいように、こんなに異常な気候で過ごさなくていいように、喘息にならなくてよいように、社会が疲れ果てて悲惨な事件が起こらないようにそんな時代になったらいいと思う。
だからできるだけ食べるものは体にいいものを、だからできるだけ使うものは環境に配慮したものを選びたいと思っている。
そういう商品を買うことで、安全な食べ物を作る企業や農家さんを応援し、売り上げ重視で安い原料と手間を省いた商品にNOというのだ。
私と同じように安全なものを食べたいという人が多ければ、そういう商品や農産物を作る人も増えて、そういうものが社会のスタンダードになってくる。
私はただの主婦。
芸能人のように影響力があるわけでも、政治家のように実際に国を動かすこともできません。
すごく頭が良くて、社会を変える発明ができるわけでも、すごくお金持ちで環境に配慮した企業に巨額の寄付や投資ができるわけでもない。
株をやっている人が、良く応援したい企業を応援するつもりで投資すると言いますね。
ただの主婦は、日々の買い物という行為によって応援です。
なんだかきれいごとっぽいですね。
けれど、私は暮らしを変えたくていろいろ手放してきて、「こんな小さなもの手放して意味あるのか」とか途中は思いながらもただひたすらに手放したり、買わなかったりしていたら、少しずつだけれど暮らしが変わってきた。
暮らしを変えるのは、地味な一歩一歩なのだと知ったから…きっと社会を変えるのもこういう地味な一歩一歩なのだと思うのです。
有名人や政治家や大金持ちでもなく、名もなき一般市民なのだと…最近そう思うのです。
だからこそ。
なんとなく使っていれば、ただのお金。
せっかく使うなら、意志あるお金を使いたい。
私のお金には意志がある。
そう言えるお金はまだまだ少ないけれど、せっかく使うお金ならば、私は意志あるお金を使いたい。