ノートを2冊手放しました。
1冊はふと書類入れの中で見つけた過去の家計簿。
月ごとの収支はエクセルに入っているし、そもそも過去の家計簿を見直したところで、何になる?と思いまして、手放しになりました。
もう1つは、私の個人的なノート。
読んだ本のメモや思いついたあれやこれやをメモしていたノートです。
いやもっと正確に言うならば、そのノートを使い切ったので、そのノートの中から厳選した内容を新しいノートに写している最中でした。
新しいと言っても、それも使いかけのノートなのですが…
それも書き写しながら、過去の思考を振り返ったところで何になる?と思いまして、手放しになりました。
メモやノートと言うのは、いつかこのアイデアが使えるかもしれない!と、この知識が役に立つかもしれない!と思って残しておいたり、新しいノートにバッグアップしたりするわけなのですが…
私においては、なかなか振り返らないのです。
メモを取っておくほうがいいという方も大勢いらっしゃるのは十も承知ですが、今の私には振り返る余裕がないのか、全く振り返らない。
引き出しの奥底にノートは鎮座したままで、(今使っているノートはしょっちゅう開くのですけれどね)振り返って何かに役立てようということがない。
ならば、一度リセットしてもいいかなと思った次第です。
もし今後5年10年したら、過去のノートも振り返るようになるのかもしれませんが、その時まで取っていたら、5年分、10年分のノートになっており、その量も膨大。
今もノートにはいろんなことを書いています。
家計簿も書いているし、思いついたアイデアを書き留めることもあるし、献立を書くことだってあれば、買い物リストも書く。
思いついて、まだまだ減らせる消耗品リストを作ることだってある。
けれど私がそれをノートに書く意味は、「書く」というのが目的であって、後々振り返ることではない事に気付きました。
だから、家計簿も今使っているノートから新しいノートに変わると同時に手放し、今使っている雑記帳的に使っているノートも、使い切れば手放しする予定。
最近ちょっぴり心身ともに疲れ気味でした。
娘がいやいや期に片足を突っ込んでいるというのもあるし、うだるような暑さも、暑さゆえになかなか外出できないことも疲れ気味の要因。
そんな時は私のミニマルセンサーも鈍ってしまう用で、手放しもちょっぴり停滞気味だった。
きついときは仕方ないよ…と思う一方で、こういう時こそミニマルに力を入れることで、余裕が生まれるんじゃないのか?と思いなおす。
その余裕がまた次の余裕を産むのではないか?と思いなおす。
そこで今日は1つでもいいから手放そうと探していたら、2冊のノートを手放す結果となりました。
何だかミニマルライフと投資はよく似ているなと思うのです。
投資するお金なんかないと何もしなければ、いつまでたっても余裕は生まれない。
投資するお金なんかない時こそ、千円でも節約してその分を回せば、ちょっとずつ…本当にちょっとずつその投資が生きてくる。
千円投資に回すのが普通になったら、その時もうちょっと頑張ればもう千円捻出できるかもしれない。
そうこうしていると2千円投資に回すのが「普通」になる。
そんな時にちょっと頑張れば、あと3千円出せるかも。
そしたら月に5千円の投資です。
それは、株式や投資信託かもしれないし、自己投資かもしれない。
それでもそれが徐々に余裕を産んでくれる。
投資するお金なんかないとあきらめていれば、いつまでたっても同じ…ではなく、だんだん気づかぬうちに悪化の一途。
お金の使い方は変わらなくても、私たちは日々老化していくから。
若い時は何でも良かった化粧品がちょっぴり高い化粧品でないと効果を感じられなかったり、病気をしがちだったり。
じわじわじわと今までかからなかったお金がかかる。
ミニマルライフだって同じで、そんな余裕ないと何もしなければ変わらないどころか悪化する。
1日1つでも2つでも減らしていけば、1つ2つ減った状態が普通になり、そんな時にまた頑張って1つ2つ減らせば、またその状態が普通になっていく。
毎日1つ手放したとして、365個減です。
そうして減らした状態が、最初は何も変わらなくても徐々に掃除が楽になったり、メンテナンスに時間がかからなかったり、時間に余裕が出てくる。
そして、やらなかったら日々物は大量に家に持ち込まれているのだから、気づかぬうちにじわじわとモノが増えていく。
人間は現状維持が好きな生き物だとよく言われますが、何もせず、何も変わらないまま正確に現状維持できるなんてことはない。
社会も環境も日々変わるし、私たち自身も日々老化しているのだから、何も変化がない毎日は(じわじわと気付かないレベルで)後退するばかり。
進むか戻るかの二者択一なら進みたい。
だから今日からまた心新たに1つ1つ手放し頑張ります。