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主婦のつぶやき

手放すことは人生を変えること

更新日:

この記事が投稿される頃は、出産予定日も過ぎた1月末。
無事生まれてるんでしょうか。それともまだまだお腹の中に居座っているんでしょうか…
出産は予定日があっても、いつになるかわからない、また産後ブログをかける体力、気力、時間があるかもわからない…
だから急にブログがストップしてしまわぬように少しずつ書き溜めています。
なので、この記事を実際に書いている今日はまだまだ正月が開けたばかりの1月7日です。

実際の日付と記事の内容に少しラグがありますが、今日はお正月休みの間に夫婦でやった手放しの話をさせてください。

少し前にDVDレコーダーを手放したよ!20点くらい本やDVD、ゲームなどを手放したよ!という話をしたのですが、手放したのはそれだけにあらず。

まずは、悩んでいた掃除機を手放しました。
段々バッテリーが持たなくなってきた掃除機、バッテリーを買い足すか、掃除機そのものをやめてしまうか悩んでいました。

悩んでいた頃の話。

悩んで、結局箱の中に掃除機をしまって、1度掃除機のない生活を体験してみよう!実験してみよう!と上の記事では話していました。
でも、結局は箱に入れて実験する前に手放すことに。

理由は簡単。
既に私は箒と雑巾で掃除をするようになっていて、掃除機を使わなかった。
夫は、あれば使っていたけれど、箱から出してまでは使わない。
ならば、箱に入れる必要性…ある?となりまして、手放すことに。
意外と充電スタンドがないだけで部屋はすっきり。
それに充電スタンドだけでなく、ベッドの近くには布団クリーナーのアタッチメントが置かれていたし、洗面台下にも隙間ノズルなどいろんな掃除機のアタッチメントが収納されていたので、こちらも一気にすっきり。

電化製品には付属品がつきもの…と思うようになりました。

掃除機での掃除をやめると決めただけで、家のありとあらゆるところから掃除機グッズがなくなり、代わりに使用頻度が低かった箒が毎日使われるようになった!
手放すまではうだうだと悩んでいましたが、手放してみるともう覚悟が決まる。
覚悟を決めて、箒と雑巾で掃除し始めると、だんだん掃除は箒と雑巾でするものになっている。
全ては習慣なのだ。
何か今までとは違う習慣を作りたかったら、それを阻むものを手放すのが一番。
箒と雑巾の掃除が面倒だと思うのは、掃除機があるから。
掃除機がなければ、それが普通になっていく。

普段はあまり使わなかったコテも手放しました。
妊娠してからはめっきり使わなくなったけれど、それ以前はたまのお出かけや結婚式に呼ばれた時など、コテで髪を緩く巻いていました。
使ってもいないコテを持ち続けていたのは、そんな時があったらどうしようという不安があったからですが、考えてみたら、コテを使っていた頃とは髪型も違うので、今髪の毛をアレンジしようとしたとして、コテは…使わないかな。
そしてそして、美容院に行くたびに「普段コテとかアイロンって使いますか?」と聞かれて、「コテはたまに…」なんて会話をして、美容師さんがおしゃれに見える巻き方を伝授したりしてくれていたのですが…そんなやり取りもこれからなくなる。

たまに使っていたのは本当だし、嘘ではないけれど、なんとなく自分の中でコテやアイロンを使ってヘアアレンジしていない事に負い目?というか、恥ずかしさ?みたいなものがあったのだと思う。
アイロンやコテを使って、素敵なアレンジをしていないことは、ノーメイクと同じような、「おしゃれに全く気を使っていませんよ!」と言っているような気がして、言えなかったのです。
本当におしゃれなんてどうでもいいと思っていたらいいのですが、人並みにはおしゃれに興味もあるものだから、「たまには使う」なんて苦し紛れな返答になってたんだろうな。

そんな「できない私」の象徴になりつつあったコテを手放し。
あーすっきりした。
これからは潔く、「コテはもってない」と答えて、コテやアイロンを使わないアレンジを習おう。
これも、掃除機と一緒で持っていないと覚悟が決まるものですね。
覚悟というと大げさですが、持っているといつかは「コテを毎日使いこなしておしゃれなヘアアレンジをする私」になれるのではないかという気がして、美容室で「たまには使いますよ」なんて見栄を張ってしまう。
でも、持っていないとそんな見栄を言う気にもなれない。
コテを使わない生活が、持っていないことが自分の中で普通になっていく。
面白いものです。

他にも、年末年始のお休みの間にはベランダに敷き詰めていたウッドパネルも手放しました。
結婚当初「素敵なおうち作り」に燃えて、購入したもの。
買ってすぐは味気ないマンションのベランダが、ウッドパネルのおかげできれいになったわ~と思ったものです。
でも、いつの間にかただそこに存在するだけのものになっていました。
それを見たからといって、「あ~いいな~素敵だな~」と思わなくなり、むしろベランダ掃除の際にパネルをどかしての掃除は面倒だな~と思うようになり。
この度手放し。
手放したら、ベランダにはもうベランダ用のサンダルとデッキブラシがあるだけ。
新婚の時は「ベランダが殺風景だわ」なんて思っていたのに、今はあーすっきりしたと思っている。
すっきりしたし、殺風景だとも思わない。
これが普通になっている。

多分、ミニマルライフを始めて、過剰なモノが少しずつ減っていき、家の中がすっきりしてきたから、すっきりした眺めに慣れたのではないかな。
もしくは、たくさんモノがある、モノでスペースを埋めるということが普通になっていたから、新婚の時何もないベランダは殺風景に感じたのかもしれない。
ネットや雑誌やTVで見ていたおしゃれな部屋作りの写真は、どれも小物が素敵に飾られていたり、ベランダにはウッドパネルとテーブルとソファ、そしてたくさんの緑があったから。
そういう足し算のコーディネートばかり見て、「素敵!」と思っていたから、なんとなくたくさんモノを買わないと素敵なおうちになれない気がしていました。
今は…無ければ無いほど素敵に感じます。
面白いですね。

モノを手放すことは、ただ家のモノの量が減る、掃除がしやすくなるということだけではないのだなと思います。
それを手放すことによって、小さいけれど暮らしが変わる。
習慣が変わる。
見ている風景が変わる。
考え方が変わる。
言動が変わる。
価値観が変わる。
私は手放すことで、人生を変えようとしているのかもしれない。



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