今日はこんなものを手放しました。
なんだかわかります?
本のしおりです。
12月は買ったのに読んでない、途中で断念してしまった本を宿題のように取り組んでいるわけですが、そんな途中で断念した本に長い間挟まっていたしおりたちです。
断念本に挟まっていたのは、このうち3つ。
残りの2つのうち1つは、ずっと文具入れの中で出番を待ち、残りの一枚ばかりが使われていました。
そもそもこれら5つのしおり…ずっと長い間持ち続けていたけれど、イマイチ気に入っていません。
自分で買ったもの、お土産でもらったもの、ただのタグがいつの間にかしおりになっていたもの…
まず金属のしおりは、分厚いので本に変な跡が残ります。
背表紙に引っ掛けるタイプも同じく背表紙の一番上にあとが残ります。
そして布製は、ペラペラ柔らかくて使いにくく、結局紙が一番となりました。
なので、図書館で借りると借りた本の名称と返却期限が書かれたレシート様なものをもらうのですが、こんなにたくさんしおりを持っていながら、そのレシートをしおりのように使うことも…たまに、いや結構あったのです。
だったら…使わないなら…必要ないのではないか?
そう思い立ちまして、この度一気に手放し。
中にはすでに壊れたものもあって(デザインの部分が壊れただけでしおりとしては使えるのですが…)、今思い返せばなぜたくさん持っていたのに、壊れたしおりまで持っていたのだろうと不思議でなりません。
しおりを一掃して、ちょっぴりすっきりした本棚。
しかし、これから本を読むときは何を挟めばいいのだろう?
理想は、シンプルに厚紙でできたしおり。
そこで、家の中をごそごそと探してみると…こんなものを発見しました。
昔旅先で買ったポストカードです。
ポストカードなら、適度な硬さ、適度な厚みでちょうどいい!
取りあえずこのまま使おうと思いますが、大きすぎて使いづらいなと感じたらちょうど上下半分で写真が分かれているので、カットして使えば丁度良い大きさになるのではないかと。
読者の皆様は、またハルって人はこんな小さいものばかり手放して(;^ω^)って思われるかもしれませんが、私の中では本よりも、服よりもこういうこまごまとしたモノの捨てが意外と手ごわかったりします。
大きなものは、ミニマルな生活をしているとある時邪魔になっているのに気づきます。
本や服など量が多いものも、多すぎるなと感じることがあります。
けれどこういう小さなモノは、邪魔にもならず、量も本や服や何かコレクションしているモノのように多いわけではありません。
引き出しや、箱など収納に何食わぬ顔で堂々と存在しております。
あと毎日使うモノでもないから、買い替えようという気にもなりません。
別にこれでもいっか。となりがちです。
現に我が家にはそういうものがたくさんあります。
量もたった5つで視覚的に多いわけでもないので、これでいっかとなりがちです。
けれどよくよく見直せば使っているのはたった1つで、その1つも使い勝手が悪いために別のモノ(今回は図書館でもらうレシート)が代用されているのです。
どんなに小さくて邪魔にならなくても、どんなに数が少なくても、使わないモノは使わない。
ないほうがいいのです。
このポストカードだって、もし今回しおりを手放していなかったなら、ずっと使われないまま奥底に眠り、ある時断捨離フィルターに引っかかって、捨てられたでしょう。
ずっと使われないまま多くのモノを持ち続けるより、どれか一つ気に入るものを使ってあげたほうがずっとずっといい。
小さなしおりを手放す。
ただそれだけの事ですが、こういう小さな積み重ねが、家を、暮らしを、私を、変えるのだと。
私は本当に心からそう思うのです。
服をゴミ袋いっぱいに何袋捨てる、大きな家具を捨てる、そういう捨ても必要な場合があるのだろうけれど、捨てるだけではなかなか変われない。
服や家具を捨てても、そこかしこにこういう小さな不用品がたくさんあるから、ついついそういう小さな不用品につられて新たな不用品が少しずつ、少しずつ増えていくような気がする。
そうすれば、また大掛かりな捨てが必要になる。
だからこそ、ミニマルライフに終わりはない。
常に今必要なものを見極めて、どんなに小さなモノでも安いものでも高いものでも、不用なものを手放していく。
それが時間はかかるけれど、本当に必要なことなのかなと思います。
ブログや本で読むミニマルライフの諸先輩方も、私のように少しずつ捨てる人、大掛かりな捨てを決行した人いろいろいらっしゃいますが、共通しているのは今も不要になったモノを手放し続けていること。
どんなに小さなモノでも、とりあえずおいておくか…なんてことはせず今もモノと暮らしと真摯に向き合っていること。
小さいからと侮るなかれ。なのです。