TVはめったに見ません。
と言いたいところなのだけど、妊婦になってからは疲れやすく、疲れたら、家事をしていても、ブログを書いていても、読書をしていても、すべての手を留めて、横になってだらだらとTVを見たりすることが良くあります。
さっきもお昼ご飯を食べて、洗濯を取り込んで、モノの整理をしていたらすっかり疲れてしまって、横になって『科捜研の女』を見ていました。
そのラストに、主人公のマリコさんに事件関係者だった児童文学作家の方が言うのです。
『女たちは絶望しているのかもしれない。
子供を産めよ、育てよ。社会に出て働け。
一生懸命頑張ってもだれからも褒めてもらえず、キラキラ輝けという社会に。』
メモしていたわけではないので、言い回しなど若干の違いはあると思います。
けれど、なんかぐさりと来るものがありました。
本当に今の社会ってそうだなって。
育児だけでもすごく大変、仕事だけでもすごく大変なのに、育児も仕事もやって、なおかつ自分の時間も大切にしてキラキラ輝け!
出来る部下、出来る上司、出来るママ、出来る主婦、出来る妻、出来る嫁であれという。
一体何役の役割を一人の人間に背負わすのでしょう。
しかもすべての役割に「できる」がついてるし、なおかつ辛そうに、大変そうにしてはならず、輝かなきゃいけないわけですから…無茶な話ですね。
今日の『科捜研の女』の被害者の女性は、読者モデルだったのですが、仕事をしている友人からは「読者モデルなんか仕事じゃない」と言われ、義実家からは「読者モデルなんかしないで子供を作れ」って言われ悩む。
仕事もしていない、子供もいない自分は何者でもなくて生きにくいって言うんです。
この気持ちも…わかるなぁ。
私は今妊婦ですが、結婚して2年くらい子供はいないし、仕事はしていないという本当に何者でもない期間を過ごしていました。
いや、今なら胸張って言えます。
主婦です!って。
けれど、あの頃は仕事も育児もしていないのは、罪くらいに思えたのです。
同世代の友人たちと話す機会があっても、話す内容は「仕事」や「子供」にまつわることが多いです。
なんの悪気もないのでしょうが、「何やってるの?」「毎日暇じゃないか?」、「働かないの?」と言われます。
家事はもう仕事ではないんですね。
仕事か育児をしていなければ、日々何もしていない人、役立たず、としてみなされているようでした。
せめてもっと家事をうまくできるようになりたくて、モノを減らしていくうちに、周りからの意見にもだいぶ影響を受けなくなりました。
というのも、減らせば減らすうちに、家事というのはただ掃除するだけでない、ただ洗濯するだけではない、家族が毎日生き生きと過ごすための環境づくりだと考えるようになったから。
外で働くときと同じように、目的意識があって、人の役に立つものだと思えるようになったから。
いや私の中ではむしろ、外で働く以上に意義深いものになったから。
家に帰って物がごちゃごちゃ置いてあると、視覚的に疲れて、毎日どんどん疲れがたまります。
それを家事がしやすく、疲れにくいインテリアを考えるのはさながらインテリアコーディネーターのよう。
毎日のご飯だって、料理人兼栄養士のようなモノだし。
そうやって、家族が心身ともに健康な毎日が送れるように家事をする。
外で働く仕事と違って、影響の範囲は家族内だけですが、そうやって健康で活力ある毎日を送っている夫の仕事の生産性は、毎日疲れてカップ麺だけ食べて、散らかった家で寝る人より良い気がしますし、心身健康ならば医療費もかからない。
保険診療で国の財政が…なんてニュースもありますが、国民一人一人が健康であれば、おのずと医療費も下がってくるはずです。
そうやって、家事だって間接的に社会のお役に立てている大事なお仕事なのだと考えれるようになったのです。
お給料はもらえません。
昇進だってありません。
社会的尊敬も集められません。
地位も権力も財力もない斜陽産業ですが、立派な仕事です。
男性の仕事が3~5時くらいに帰れるようなお仕事でない限り、専業主婦も必要じゃないかなと思います。
社会は子育てして、バリバリ働いて、さらに輝く人を求めていますが…
個人的にはお金をたくさん稼がなくても、子供がいてもいなくても、流行りのお店に行けなくても、毎日違う洋服で着飾らなくても、1日1日を大切に、心身ともに健康であれば、自然と輝ける日になるのではと思っています。
私もまだまだ道半ば。
毎日どうやったら、家族が生き生きと過ごせるのか考えています。
最近の関心は眠り。
我が家のコスト内で心地よく眠りについて、一日の疲れをいやし、1日動ける元気を充電するにはどうしたらよいか…研究中です。