七宝柄のふきん完成しました。
以前は同じサイズのふきんを何か月もかけて制作していたのに、娘が生まれて以前よりは自由な時間がないはずなのに2,3週間で出来上がり。
そりゃあ上手な方のように、美しい針目ではないけれど…わたしなりに成長を感じます。
そして、間髪入れず2枚目のふきんを制作開始。
それは…次はもっときれいに作りたいという欲がちょっぴり出てきたからというのも理由の1つ。
今制作を開始したふきんからも成長を感じます。
それは晒をカットするところなのですが、私は刺し子を始めるまで布のカットといえば、ただ線を引いてはさみでジョキジョキと切ることしか知りませんでした。
この刺し子のふきんを作るときは違います。
布というのは中島みゆきさんの『糸』の歌詞にある通り、縦の糸と横の糸が織りなされてできているわけですが、このふきんはカット前にその横糸を1本引き抜くんです。
引き抜き方は、布に対して直角に5㎜ほどはさみを入れて、そこからちょっぴり出てきた1本の糸を手繰り寄せ、手繰り寄せ、そうして端まで手繰り寄せて爪で糸を切るのです。
グッと糸を引っ張ると途中で切れてしまうので、糸を持っている側ではなく、布を持っている側の手の爪でぐっと布を押し布の中にある1本の糸を根元から断ち切ってしまう。
そうして1本の糸を引き抜くと、そこには1本糸が抜けた分ラインができますのでそのラインに沿ってはさみを入れるのです。
私は裁縫は全然ダメな部類ですから、こんなカットの仕方があるのか!と初めて知りました。
そして今まで3つ、4つ作ってきましたが、1度もこの糸の引き抜きに成功したことがありませんでした。
いつもいつも途中で切れてしまう。
それが、今回初めて!初めて!できました( *´艸`)
小さなことですが、成長とは嬉しいものですね。
以前よりスムーズに、早く完成できるようになった。
以前はできなかった糸の引き抜きができるようになった。
そんな小さな成長の喜びが、今日も刺し子しよう!という気持ちにつながります。
娘を見ていると思うのです。
娘は私から見れば光の速さで成長しています。
ハイハイが立てるようになり、歩くようになり、靴を履くようになり、近所のスーパーまで手をつないで歩いていけるようになった。
言葉に反応してにっこりするしかなかったのに、意味の分からない「あー」とか「ぶ―」とか言うようになり、ママというようになり、かあしゃんと言うようになり(ママの時代短かったなぁ)、他にも意味の分かる言葉を言うようになり、ところどころ私が歌う童謡を「にゃんにゃんにゃにゃーん」とか一緒に歌うようになった。
そういうことができるようになるたびに、娘はより楽しそうに、より自信をつけているように思う。
だから…もっと自分でしたい!もっとできるようになりたい!私にもさせて!の欲が強い(笑)
親である私は、時々「これはもうちょっと大きくなってからねー」とやんわり娘の希望を断っているけれど、糸抜きに学ぶ子供の気持ち。
糸がキレイに抜けただけで、「やった!出来るようになった」と思った。
娘も同じなんだろうな。
ただ母と同じようにほうれん草を洗ってみたい、髪を櫛で梳いてみたい、洗濯機に入れたい、ハンガーに服をかけたい、本を自分で収納したい…今までできなかったことができるようになるのは、どんな小さいことでも嬉しいのだ。
そして、出来るようになったのが嬉しい体験になっているから、もっとできるようになることが目標なのだ。
そんなことはわかっていながら、ふと振り返ると私自身はこうして「やった!出来るようになった!!!」と喜んだのはいつぶりだろう。
私はどこでそんな気持ちを置いて行ってしまったのだろう。
大学でスペイン語を専攻していました。
私から見れば、今まで縁もゆかりもないスペイン語を多少なりとも話せるようになったのですからすごい成長なはずですけれど、やった!とは思ってなかったような。
社会人になってやった仕事ももちろん初めての経験の連続だったわけですが「やったやった!出来るようになった!」と喜んだ記憶は…ない。
それはきっと、周りには自分より秀でた人がいたからかもしれないし、私は何事もスロースターターで最初はいっつもマイナススタートな位要領が悪いですから、出来るようになってもやっと追いついたという感じだからかもしれない。
マイナススタートゆえによく指導されるからかもしれない。
どうせ私は…と最初から120%の努力をしないからかもしれない、失敗を恐れていつも80%の力しか出していないからかもしれない。
でもきっと違うのです。
周りより劣っていようとも自分だけは自分の成長をほめるべきなのかも。
そうすることで、「どうせ・・・」から「よし!一歩前進!」というマインドになる。
最初は80%の力でも、「よし1歩クリア!」「また1歩前進!」「お!だいぶできるようになってきたな」と思っていれば、「よし。もうちょっと頑張ってみよう」、「もっとできるようになりたい」という気持ちが湧いてくる。
そしたらそれに85%の力を、90%の力を、100%の力を、120%の力を出そうとするかもしれない。
もっともっと小さなことでも、傍から見たら「そんなことで?」と笑われそうなことにも、自分の成長を「やった!」と喜ぶことが未来の自分を育てることにつながる。
そういえば周りと比較をしないこのミニマルライフは、亀の歩みでも自分なりに1歩1歩進んでいっているなと感じます。
たしかにこのブログには、本当に小さな小さなことばかり書いているのです。
けれど、この小さなことでも「一歩前進になりました!」ということで、わたし自身もっとスッキリさせたい、もっと私と家族が生き生きとゆとりある暮らしができるようにしたい!とさらに先を目指そうという気持ちになっている。
ここまで辞めずに続けられたのも、そしてさらなるすっきりを目指せるのも、小さな小さなこと、小さな小さな手放しでも「やった」と喜べるからであり、その喜びを一緒に分かち合ってくれる読者の皆様がいるからなのですね。
ありがとうございます。
今日は、小さな達成感の話でした。