今年はしっかりとワードローブづくりするぞ!と決めて、「とりあえず」の服はどんどんなくなっていった。
枚数は最低限の8枚ぽっきりだけど、私にピッタリで好きな服ばかり。
そんな私の好きな服を着る生活が始まって、私の暮らしは少しずつ変わりました。
今日はそんな服の力…好きな服が暮らしに与える影響について話したいと思います。
好きな服、サイズや用途がぴったりな服を着れば、毎日心が嬉しい。
それは…言わずもがな。
それだけにあらず。
- バタバタいかにも焦っています!いかにも忙しい!という雰囲気をまき散らすことが、眉間にしわを寄せて不機嫌をまき散らすことが少なくなった。
- ごはんを作る時から、食べ終わって食器を片付け終わるまでエプロンをつけるようになった。
- 背筋がしゃんと伸びている。
- 食べ過ぎ、ほんの少しの体のラインの崩れが手に取るようにわかるようになった。
- 取りあえず洗濯機に放り込むのではなく、その服毎に洗ったり、ブラシにしたり、アイロンをかけたりするようになった。
- 食材の封を開けるときにはさみを使うようになった。(とくに汁が飛びやすいもの)
つまり…動作や姿勢がゆっくり美しくなり、心にゆとりが出るようになった。
大好きでお気に入りの服だから、なるべく汚したくはない。
だから、食事は用意から片づけまでエプロンを着るし、お水を大量に流して、まき散らして、がしゃがしゃ洗うのではなく、水が飛び跳ねるのが最低限になるよう緩やかな水量で。
食べるときは、大口開けて口いっぱいに放り込もうとしますと、うっかり手元がくるって口にたどり着く前に食べ物を落としたり、水気のあるモノでしたらぽたぽたとこぼれることがありますから、少なめに。
エプロンをつけることで、料理モードにスイッチが切り替わるのもよく、娘と一緒に料理をするのでそんな大したものは作れませんが、その一瞬は料理なら料理だけをする時間になる。
作りたくないな~と言うちょっぴりだらけた気持ちも、とりあえずエプロンをつければどこかへ行く。
というよりも、エプロンをつけたら料理をせざる得ず、何作ろうかなと悩んでいても、とりあえず手を動かすことになる。
服が汚れないよう、服を大事にする暮らしの動きとは、汚れを気にしない大振りで勢いのあるダイナミックな動きに比べ、ゆっくり丁寧な動きだ。
言い換えれば前者はガサツな動きともみられやすく、後者は優雅な動きともみられる。
もちろん汚れを気にしないダイナミックの動きの方が適していることもあるけれど、私が目指したいのは後者の方。
あと好きな服を着ていると、よりよく見せようという心理が働くのか、姿勢などもよくなりがち。
ちゃんと髪も整えがち。
なかなか動作やしぐさってなおすのが難しく、ついつい優美さのかけらもない動きをしてしまうけれど、身にまとうものが変われば動作も変わるのですね。
100%ではないけれど、確実に変わる。
人は環境から影響を受ける生き物です。
家の中や、家の周りの環境は自分の一存で変えることは難しいけれど、着る物は唯一自分の好きに変えられる環境だ。
服だって環境なのだから、服が変われば、思考が、動作が、人生が変わる。
ちょっぴりきつい日、月に一度のレディースデー、今日は掃除を頑張るぞーの日なんかは、リラックスした部屋着を着ているのですが、その日はイライラしたり、時間に追われて焦ったり、バタバタしたり。
ダイナミックな動きになったり、ゴロゴロだらだらしたり。
同じ1日なのに、やることは同じ1日なのに、リラックスした服の日はどうも時間的にも心理的にも余裕がない。
それはきっと服がリラックスだから、あまりやる気が起きないのですね。
やる気が起きないけれど、主婦の仕事にお休みはありませんから、そんな日も掃除をし、料理を作ったりしなければならない。
するともっと休んでいたいのに!という気持ちが出てしまって、ちょっとしたことでイライラしたり、ダラダラと緩慢な動きゆえに時間に追われて焦ってバタバタしたり。
良いことない。
私は、時間的にも心理的にもゆとりのある、余裕のある暮らしをしたいと思っていますが、朝ちゃんと適当な服ではなく、好きな服に着替えるというだけで、その目指している暮らしに一歩近づく。
ちょっと動作が丁寧になったり、食事の支度からエプロンをつけることは、日々の暮らしの小さな小さな変化です。
けれど、この小さな変化の延長線上に未来はあるわけで、そんな小さな変化の繰り返しが人生を作っている…と信じてる。
だから小さな変化もないのなら、人生だって今と同じ。
服。
たかが服されど服。なのですね。
面白い発見でした。