茂木健一郎さんの『頭は「本の読み方」で磨かれる』を読みました。
その一部に本屋や図書館では、読みたい本が体でわかるというようなことが書かれてあったのですが、その言葉に激しく共感した今日この頃。
茂木さんは、「赤毛のアン」が光って見えたそうです。
私もそういう経験あって、図書館で見ていて、目が留まる本があります。
その本は今まで知らなかった本もあるし、聞いたことあるな程度の本もあるけどそうやって目に留まった本は大抵面白かったり、結構読み終わってからも覚えていたりする。
本自体も読みやすく、1日で読了してしまった。
おすすめ本も今度読んでみたいな。メモしておこう。
●●専用だらけの実家
そういえば、昨日の記事を読み返してふと考えてみると、実家の○○専用の多さを感じます。
昨日の記事では、父用、母用とそれぞれの枕&枕カバーがあるという話をしたのですが、考えてみると我が家にはないけど実家にある○○専用というのが実に多いのです。
昨日の記事まだ読んでないという方はこちら→母と娘の枕に対する想い。お客様用枕って必要なのか?
例えば洗剤。我が家は結構いろんな掃除を万能洗剤1個で済ませますが、実家にはいろんな種類の洗剤がわんさか。
しかしこれは、洗剤の数を減らしたいと私が意識的に減らしてきたものです。
洗剤を減らしたいと思っていない実家と差があるのは当たり前です。
実家にたくさんある○○用は洗剤やまくらなどの寝具だけではありません。
タオル
家族用とお客様用
実家ではタオル入れが2つあります。すごく深いかごです。
もとはランドリー用かごだったのでは??と思っていますが、実家ではこれをタオルの収納に使っています。
この1つに家族用のタオル、もう1つにお客様用タオルが入っています。
重ねて言いますが、このかご結構大きいのです。
家族4人でタオルを使っても、このかごが空っぽになることはない位深いのです。
乾きやすい薄手のタオルを使っていることもありますが…
で、同じ量だけもう1つのかごにお客様用タオルがびっしり入っています。
しかも、洗濯物を数日ためて一気に洗濯するならそれなりに量がいるのはわかる。
しかし、毎日回すのです。
絶対使いきれない量です。
使い切り用と数回使う用
ちなみに手を洗ったときに手を拭くタオルは、皆様の家ではどのようにされていますでしょうか。
我が家はフェイスタオルを手拭きタオルとして、洗面所にかけています。
ちなみに実家もかけています。
ですが、そのタオルと一緒に洗面所にハンドタオルも何枚も何枚もきれいにかごに入れておいてあります。
これは、みんなと同じタオル使いたくなーいって人用です。
つまり1回手を拭いたら、洗濯機へ放り込まれるタオルです。
私は顔洗う時なんかに使っています。我が家も顔洗った後顔を拭くのはハンドタオルです。
実家では洗顔時以外でも使っていい手拭きタオルとして置いてあります。
洗顔時なら家族の人数分とちょっと予備の枚数があればいいですが、1回手を拭いて洗う方式だと大量のストックがいるわけです。
むむむ。恐るべし。
箸
そういえばお箸もそうです。
我が家の箸は、3セットあります。
すべて柄も何もない木の箸です。
だから、どれが夫の箸とかそういう区別はありません。
2人ならそこから4本、お客さんが来ていたらそこから6本とればいいだけ。
実家にはごっそり引き出しいっぱいの箸があります。
それもすべて違う柄だったり色違いだったりです。
父と母が毎日使う分は、別のカトラリー入れに入っています。
ちなみに父用、母用と分かるようにサイズも柄もバラバラです。
その他たくさんあるのは、たまに来る我々夫婦用や祖母用や弟用や親戚用やそのほかお客様の分です。
親戚の中でもよく来る人は、○○さん用の箸としてわかるように違う柄やカラーで所持します。
つまり普段は父と母の2人暮らしですが、8~10人分くらい専用の箸を置いています。
そりゃ増えるわけです。
食器
食器もたくさんあります。
普段用の食器と特別な時用の食器。
ガラス扉がついた作り付けの食器棚が2つ並んでいるのですが、2人暮らしなのにパンパンです。
左のガラス扉の中には、特別な時用のちょっぴりいい食器が、右は普段の食器とグラスや湯飲みたち。
年に1度しか使わないお屠蘇のセットもなぜか2セット持ってます。
またグラスも多いです。
我が家で宴会を開くことも多いからか、冷たい飲み物を入れる長いグラスが多分10人分、温かい飲み物を入れるのも同様に10人分、別デザインで5人分ほどあります。
大人数用はそれくらいですが、それとは別にマグカップが家族それぞれ、しかも家族分以上にあり(多分10個くらい)、湯飲みも家族分以上にあり、普通に使うグラスも5~6個あります。
茶碗も汁椀も普段使うものに加えて5,6個あるしね。
すごいね。
実家を片付けたいと思っていたけど…
多分書こうと思えばもっともっとかけるのですが、この辺で。
文房具とか、実家はやたらたくさんありませんか?(笑)
しかし、実家はモノが多すぎて困るという事態には陥っていません。
故に、これだけモノがあっても問題ないのです。(私なんかはどんどん手放したくなってしまいますが…)
それはひとえに箱の大きさだと思います。
我が家で同じようなことをしたら、確実に収納が足りず、どこもかしこもたくさん収納家具を置かなければならなくなるでしょう。
とてつもなく狭く感じるでしょう。
しかし、実家は一軒家。
私たち兄弟が住んでいたころは、母もモノが多いわ~と思っていたかもしれません。
子供たちが巣立った今、それだけ多くのモノを置いていても夫婦二人暮らしには全く問題ないのです。
だから極論こんなにたくさんモノを持っていても捨てなくてもいい。
別にゴミ屋敷のように散らかってるわけではなく、たくさん物はあってもちゃんときれいに住んでいるのです。
ただ…
年を取ってくるに従い、昔出来ていた家事もおっくうになります。
疲れちゃいます。
ちょっとした段差でこけちゃいます。
だから今のうちに不要なものは手放そうよ、すっきりしようよと思うのが娘心。
でも父にとって、母にとってはかけがえのない思い出の家なのでしょう。
自発的にそろそろ暮らしをちょっと小さくしようかと考え始めるのを広い心で待つしかありません。
私が時々「外に出す収納家具を減らして掃除が楽になった~」とか、「調味料たくさん持ちすぎてたから絞ったら、料理も楽になった~」とかシンプルの良さをちょいちょい出して、サポートするほかない。
人は身近な人に影響を受けやすい。
だからきっと私が取り組んでよさそうなら、きっと私と一緒で影響されやすい母も父もやる気がする(笑)
頭ごなしに、あれもこれも捨てなよ!!と言う訳でも、私が全部きれいに片づけてあげる!!と言う訳でもなく、自分でもっとシンプルになりたいなというのを待つ。
気の長い、忍耐力のいる話です。
しかも、最終的に片づけるのはきっと子供である私たちなのに、気長に待つ。
仕方ないよね。
先週アドラーの教えを哲人と青年の対話方式で描いた「幸せになる勇気」を読みました。
すごく話題になっていた本なので、一度読んでみたかったのです。
この「幸せになる勇気」読んでかなり肩の力が抜けた感じがします。
先ほどの両親への心配についても、言い出しにくくて言えてないのですが、ほんとはずっと言いたかったのです。
「物がたくさんあると家事も大変だし、捨てなよ」って。
でもそれって、家を出た娘からそんなこと言われるのきっと誰だって嫌なはず。
私だって、母が来て「そんな掃除の仕方じゃダメ!こうしなきゃ!!」なんて言われた日には、かなりイラっとするはずです。
一緒に住んでいる人から言われるならいい。
こうしてほしいという要望だから。
でも家事のやり方なんて、それこそ家庭ごとに違います。
それなのに…もちろん母も家族だけれど、一緒に住んでない人から言われても「そんなんこっちの勝手だわ」って思う。
勿論こういうやり方のほうが楽よ~っていうアドバイスくらいなら全然OKですが、こうしなさい!と強制されるのは嫌なものです。
それは子供から親へも同じこと。
むしろより傷つくかもしれない。
いくら心配しての言葉だって、関係ない私が人の生活を強制するのは良くない。
だからモノを減らしたら結構楽になった~と時々話すくらいがちょうどいい。
そしていつか、もっとシンプルな暮らしにしたいわ~と両親が言い出したら片付けを手伝ったり、そんなこと一切言い出さなかったらもうこのままだと腹くくるしかない。
そう。
どうやったら、モノを減らしてくれるかと考えれば、途方もない悩みになる。
あー言えばこう言うで全然やってくれなかったり、すぐモノを増やしてくる親にむかつくかもしれない。
でもそれは私の一方的なわがままを押し付けたうえで、自分の思い通りにならなかったからムカついてるだけにすぎません。
親はそんなことやりたくないかもしれない…
だから私には、こういうシンプルな暮らしもあるよ~とちょくちょく話すしかない。
そのうえでシンプルにするかどうかを選ぶのは親自身なのだ。
それにそう割り切ってしまえば、自分の悩みもぐんと楽になるというものです。