数日に分けてですが、洋服も全出ししてみた!
少し前からもう30代を越えた私には可愛すぎると敬遠していたワンピースを一着、使いすぎて色あせていたワンピースを一着、そして同じく使い過ぎていた裾が擦り切れていた薄手のパンツ(まだズボンと言ってもいいのか?)、同じく使いすぎて……なTシャツと薄手のカーディガンも。
とりあえず使えそうと思って買った中身が寄ってしまったダウンベスト、どうにも服が少なくて買い足したが合わなかった半袖の羽織も。
合計7着。
娘も私が小さそうだな~と思う物を出して、「どう?」と聞くと、そのうち3着を小さいから手放しということになった。
ちょうど娘の幼稚園で、寄付活動をしている関係で、そのうちまだ使えそうなもの(擦り切れていない物。ふふ)を幼稚園に持っていった。
街中にも寄付のポスターが貼ってあるので、おそらく町全体? 国全体? が、今寄付の期間らしい。
もともとミニマルな暮らしを目指している我が家は紙袋一つに収まる量(引っ越しの際に徹底的に減らしたし)で、大量に寄付している他のご家庭に比べれば、とても少ない。
家の中にある使えるけど不要な物で今困難にある人たちを支援しようという取り組みなのだと思うのだけど、とてもいいなと思う。
幼稚園では、服は〇ポイント、おもちゃは5個で〇ポイント、家具は〇ポイントというように点数制にしていて、どのクラスが一番寄付の品物を集められるか競争している。
競争ばかりに目を向けてしまうかもしれないけれど、それで寄付する物が増えるなら良い事だろうし、寄付する側の家もすっきりするし。
何より子供とこういう話をする機会ってないからいいなって思う。
娘も「なんで洋服持っていくの?」と聞くので、「あのね」と話をする。
親がいない子供がいること、道で生活している人がいること、普段買ってもらっているお菓子が買えない人もいること……。
これは寄付に限らないことだけど、いろんな面で私たちは自分と関係ないことは無関係を貫きがちだ。
自分一人が選挙に行ったって変わらない、自分一人が地球環境に配慮しても意味がない、自分一人が寄付しても意味がない……。
どれも確かに、一人では国規模で見たら、地球規模で見たら? 意味がないほど小さいけれど、そういうのはチリツモでもある。小さいけれど、意味があって、誰かが諦めれば、また他の人もやらなくなって、悪化するのはあっという間だったりする。
だって、選挙に行くのも、地球に配慮するのも、寄付をするのも、わざわざすることばかりで面倒くさいから、みんなやっていないならいいよねってなりがち。
だから、子供にこういう小さいことでも、助かるんだよって教えられる機会があるのは良いなって思う。
また、私は脱砂糖とか脱シャンプーとかしたことがあるから思うのだけど、無理なことは続かない。
選挙も全ての人が報道機関のように一つ一つの政党の政策を調べて、わからなかったら質問して……なんてことをしなければならないとしたら、ほとんどの人が投票しないと思う。
エコだからとクーラーをつけなかったら、熱中症で死んでしまうし。
寄付だってたくさん寄付しなければと、普段使う物まで寄付したり、多くのお金を寄付したりするのは、とても負担。
出来る範囲で、出来ることを。
何でもそれが続ける秘訣なのかもしれない。
ブログもね。
最近の私のブログには写真がない。
それは、私が写真を撮るのがちょっとばかり負担に思っていたから。
自分が映り込んでいないか、場所が分かるものが映っていないかとか、そもそも人に見せて見苦しくない写真だろうか……と私にとって写真はとても気を遣う物だった。
読者の皆さんにとっては、写真があった方が分かりやすいのだろうし、写真があった方が見てもらえるチャンスが広がるのかなとも思うのだけど、それでブログが続かないなら本末転倒だなと思い、思い切って写真を撮るのをやめてみた。
私のつたない文章だけの報告になってしまってごめんなさい。
それでもいいよという方は、また読みに来ていただけたら嬉しいです。
皆さん、2025年の間に洋服のチェックはしましたか?
もしまだだよという方がいたら、このブログを読んだ後に靴下だけ、もしくは下着だけでもチェックしてみて。
それだけならきっとすぐに終わるはず。