あと2週間ほどで来客があります。
今までわが家に来たのは、夫の友人位で。
最初にその友人が来た時は、来てくれるのがうれしい反面、めちゃくちゃ不安でもありました。
おもてなしってどこまですればいいの?、あれも買わなきゃ、これも足りないわと、そう思っていました。
そんな状況を見た夫から、そんなにあれこれ買わなくてもいいと言われ、結局お布団と家でつまめるおつまみ程度しか買わなかったのですが、心の中は「できない嫁だな!」と思われるのでは?と不安でいっぱいでした。
簡素な暮らしを目指し始めて、「常識、普通」そういう思い込みを振り払ってきました。
お風呂場にはお風呂用洗剤、洗濯するのには洗剤、柔軟剤、漂白剤がなければならない、料理は五大栄養素がそろったバランスの整った食事を作れなければ妻失格!!みたいな。
ちょっと大げさですけれど、そんな気がしていたのです。
今、夜ご飯はお米などの主食なしで1~2品。
具材がたっぷりのスープ1品であることも多いです。
ちなみに昨日は野菜たっぷりオムレツです。
そんな話を母にすれば、「あなたは良くても、男の人はもっとエネルギーがいるわよ!」と怒られます。
けれど、こうなったのには理由があって。
4月から転属になった夫は外出が多いのでお昼にお弁当を持って行けず、レストランでランチになりました。
夫の職場はそんなに都会ではないので、行く店は限られています。
近くのお店はもう量がすごいんだそうです。
夜9時10時に帰ってきたときにも、まだちょっと胃もたれしてるから少なめにしてほしいと言われたことも何度もあります。
そんなこんながありまして、夜は寝るだけなので軽めにとなったのです。
軽めにと言っても最初は何品か作っておりましたが、それでも多くて徐々にこの量に落ち着いたと言う訳。
「常識・普通」で考えれば、専業主婦なのに夜ご飯にスープしか出さないなんて、手を抜いている!1日汗水たらして働いてきたのに、帰ってきてこの夕飯だなんて夫がかわいそう!ということになるのですが、夫の体調を観察して、夫自身の希望もきいて、こうなったのです。
ここで、「常識・普通」をかたくなに守れば、世間一般からは「良い妻」と思われるかもしれませんが、きっと夫はぶくぶく太り、健康診断で引っかかるようになり、病気になってしまう。
一番大事なのは、私たちが健康で心地よく過ごせることだと思い、思いっきり世間一般の「良い妻」を捨てています。
夫はあまり「常識・普通」に縛られない人で、私たち家族が心地よいことを最優先する人です。
むしろ私の方が「常識・普通」「良い妻」にがんじがらめで、簡素な暮らしを目指していく過程で少しずつ解放されていった感じがあります。
だから、夫婦二人で暮らす分にはそれで全く問題ないのです。
ただ、来客が来ると二人で暮らしている間は解放されていた「常識・普通」が途端にすごい勢いで戻ってきて、私を不安にさせるのです。
例えば、来客用の良い湯飲みなど持っていません。
いざ友人がやってくれば、マグカップでコーヒー飲んで、結局来客用の湯飲みなんて必要なかったから買わなくてよかった…と思うのですが、来るまでは不安です。
そして、来客中は夫が基本外食でよいと言っていたのですが、やはり1品も作らない(もてなさない)なんて、妻失格では?と恐れたり。
茶菓子がなかったわと焦ったり。(夫も友人も飲んでばかりで買っても茶菓子などいらなかった)
我が実家の場合。
誰かがはるばる泊まりに来るとなれば、布団を干したり、新しいタオルを出したり…とそういう基本的なことはもちろん、みんなでお茶飲みながら話すときに一緒に出すお菓子を用意したり、お酒を用意したり、滞在期間分のご飯を考え、買い出しをする。(メニューによっては、人数によっては、下ごしらえしておく)
家でのもてなしが基本なのです。
それが普通だと、常識だと思いこんでいた私には、先日来客があった際の朝、昼、晩全部外食というのがとても新鮮で、楽だったけれど、本当にそれでよいのかと心配になったものです。
GWの来客の際は外食続きで私のお腹はもたれましたが、それはそれで楽しく過ごせました。
家でずらずらずらーっとご飯を並べるのがおもてなし…と思っていた私の「常識・普通」はまたも崩れ去ったのでした。
次の来客は母です。
世代的なこともありますが、私以上に「常識・普通」に縛られています。
電話や帰省した時に話す限り、私が炊飯器もなく、洗剤も少なく、あれこれ私が手放している様子をあまり良いとは思っていない様子。
いつも言われるのは、「あなたが良くても、○○君(←夫のこと)はそれじゃ大変よ。ちゃんとしなさい。」です。
母にとっての「ちゃんと」というのは、石鹸ではなくちゃんと食器用洗剤で皿を洗うということ、夕飯はちゃんと男の人が好きながっつりとした料理を作ること、洗濯はちゃんと柔軟剤を使ってふわふわに仕上げること(←これは最近母もマグちゃんを使い始めて意識が変わってきたみたい)・・・
つまりは、私の生活と真逆なわけです。
母のことは好き、嫌な人でもなく良い母だと思う。
けれど、母には母の、私には私の良い状態というのがあるのをなかなか理解してもらえない。
老婆心から、あれこれ忠告してくれるのも母の愛だと思う。
けれど私は違うのです。
母とは違う人と結婚し、母とは違うライフスタイルを送り、母とは違う経済状況で、母とは違う時代を生きてる。
実は私は母に物の少ない暮らしをなんどか勧めたことがある。
これからだんだん体の自由が利かなくなるのだから、体力がなくなっていくのだから、そんな母世代こそ不要なものを手放して、今心地よく暮らすことに集中すべきだと思うからだ。
けれど母はそれをよいと思わない。
私と母は違う。
私とは違うけれど、母なりの価値観があるのだ。
だから、私も母に無理強いはしない。
だから・・・
今回の来訪で、シンプルミニマル最高!!と思わなくてもいい、思わなくてもいいから、こんな暮らしもあるんだなと理解してくれれば私としてはうれしいことこの上ない。
価値観が違うというだけで、ダメだしされるのはちょっぴりつらいですから。
先日見た『タイニーハウス』でも、若い夫婦がタイニーハウスに引っ越すのを母親は大反対「こんな狭い家に住むなんておかしい!」的なことを言っていて、どの国の人もなかなか母世代からはミニマル、シンプルな思考は受け入れにくいみたい。
けれど、タイニーハウスが出来上がるとどの母も「思っていた家じゃなかった。これならよさそうね」というのだ。
多分小さな家=貧しい、モノが置けず絶えず散らかった、狭くて窮屈というイメージがあるのだろう。
もしかしたら私の母も同じかもしれない。
モノを手放す、モノが少ない=貧しい、家の中が殺風景でさみしい、心がすさむ?
夕飯が一品=食卓がさみしい、悲しい。
服が少ない=ボロボロの服を着ている。
そんなイメージを描いているのかも。
でも実際は、モノを少なくすることでお金にも時間にもゆとりができる。
だから、心にもゆとりができて、私は今人生で最高に幸せに暮らしている。
「思っていたのと違った」と思わせたいと思う一方で、やっぱりわかってもらえずダメ出しのオンパレードかもという不安もある。
そんな今日この頃です。