今年は何でも早めに準備しようと思いながら…
年賀状にお歳暮いまだ手配できておらず。
数はとっても少ない。
本当に送りたい人だけの年末年始のごあいさつ。
年賀状は、少なくてもやっぱり手間である。
それはやっぱりお決まりになってきた文章だからだろうか。
一度に何枚も書かなければならないからだろうか。
小学生の頃は、年賀状のデザインは最小限に抑えて、空白いっぱいに書いてた気がする。
小学生の時に送る相手なんて毎日会う級友ばかりだろうに、何を書いていたかさっぱり思い出せない。
大人になると、近況を1行ほど、もうお決まりになりつつある「会おう」という言葉。
なんか儀礼的になってきて少々面白くない。
ならばいっそ手紙でも書こうかと思うけれど、手紙を書くには送る相手が多すぎる。
年賀状悩ましい問題です。
本はたくさんあっても…
何度も何度も本を手放し、本を買い、今の本棚は何度も何度も読みたい本だけになってるはずだった。
ダイニングテーブルの横には、夫作の本棚がドーンドーンと2つ並べておいてある。
だから何の気なしに、食事中やブログを書いている途中にふと本棚に目をやることが多い。
もしくは何か読みたい気分になって、本棚を物色することもある。
私の目論見通り何度も手に取られる本がある一方で、全然手に取られない本がある。
それは最近買った本なのか、ずっと昔からある本なのか…考えてみたけれど買った時期はあまり関係ないみたい。
この本は私が小学生か中学生だった時に買った本。
確か読書感想文用に買った本。
今まで何度も読み返して、もう話の流れも、ラストも全部わかっているのに。
学生も読む本だとわかっているのに。
毎回号泣必須の本。
結婚してからも読み返した。
逆にどうしても手が伸びない、ここ何年も読んでない本は「これどんな話だっけ?」って本が多い。
全部内容も知ってるから、もう読み切ったから手放すのではなく、私の場合内容を覚えていない本が手放し対象の本。
内容が覚えてない本も2種類ある。
「これどんなんだっけ?」と思いながら、「これ読んで泣いたんだよな~」とか「途中のシーンまでは覚えているんだけどなぁ~」と言った感想や読んだ時の状況や一部シナリオを覚えている場合と全く何にも一切覚えてない場合。
ちょっとでも何かしら覚えていたら、「どんな話だったか久々に読んでみよう」と思えるのだが、一切覚えてないと読もうと思う気持ちもわかない不思議。
そういう本は申し訳なく思いながら手放し。
それは小説だけの話にあらず。
実用書も内容を覚えている本は何度も読む。
覚えてない本はなかなか手に取られない。
我が家のレシピ本は6冊。
最近はそもそも、レシピ本を見て料理することはがくんと減ったのだけど、この料理本たちも使われ方に差がある。
どうしても何度も開いて作る料理は同じ。
ページ数は覚えていなくても「あの本の最後の方に載っていたあのレシピ」や「右下に載っていたあのレシピ」といったように覚えているレシピがある本が圧倒的に使う本。
どんなレシピがあったか覚えていなければ、絶対に開かない。
小説だろうがビジネス書だろうが、レシピ本だろうが…内容を忘れた本はもう読まない。
多分そういう本は私と相性が悪かったか、出会った時期が悪かったか、本帯やPOPにつられたか…もしくは卒業したか。
その時の自分には必要と思って一生懸命読んだ本も、年を取っていくにつれ、ライフスタイルが変わるたびに、必要でなくなる場合がある。
その本を卒業したのだ。
そういう本は、ありがとうと手放す。
覚えている本は、何かしら心に引っかかってまた読みたい気持ちにさせてくれたり、必要に応じて手に取ったりする。
児童書などとっくの昔に卒業してもよさそうな本も、思い出として、または初心に戻る重要な役割をはたしていたりする。
そんな本はきっとまだまだ卒業ではないし、今後も折に触れて手に取るだろう。
何気なく本棚を見てると覚えてない本がちらほら。
今まではブックオフで売っていたが、待ち時間が途方もなく長いので宅配買取を試してみようか検討中だ。
10冊以上なら送料無料や、事前に買取金額がわかるサービスもあるよう。
何時間も待つよりいいかもしれない。
悩ましいのは続きを買う気力が今はない漫画。
だいぶ漫画は減ってもう完結したものと今連載中の2つだけ。
我が家には6巻まであるけれど、残りを買うか迷い中。