最近私がなるべく買わないもの。
それが「すごい商品」
スプレーすれば汚れがごっそり取れる!という洗剤や、塗るだけで角質すっきり!すべすべ肌みたいな美容品、さっと拭いて、ポイッと捨てるだけ!みたいな便利な掃除グッズ・・・
そんな「すごい商品」をなるべく買わないようにしています。
汚れがごっそり取れるような強い洗剤は、匂いもきついものが多いし(私はカビキラーなどのにおいで気分が悪くなってしまう…)、手に触れれば手荒れする。
だから使いたい気持ちがなくなっていったのだけど、最近はそれ以上に、洗剤は最終的に水に流れるものなので、こんなに強い洗剤海に流して大丈夫?って気持ちになる。
角質ごっそり!みたいな化粧品も同じで、強い美容品は確かに効果もすごいのだろうけれど、その後肌荒れする確率大。
一度傷んだ肌は、私の場合元に戻すのが大変。
だからすぐに効果が出るようなすごい美容品は避けている。
便利な掃除グッズも、1個1個の効果はすごいのだろうけれどついつい買うと家に物が増える、使い捨てならゴミが増える。
ここにあげたのは一例だけど、「すごい商品」はその効果がすごい分、わたしにとってマイナスなことが多い。
強い薬には副作用があるように、効果が強い生活雑貨もそれなりにどこかにしわ寄せが…確実にある。
昨日、わたしにやさしいことは、お財布にも優しくて、地球にも優しいっていう話をブログに書きました。
この「すごい商品」というのは、大抵価格が高いか、継続的な購入が必要か、またはその両方で全然お財布にやさしくない。
そして、効果が強い分体への刺激も強いことが多かったり、逆に家事の手間が増えたりして、私にもやさしくない。
さらに、大抵水に流せば環境負荷が強く、出てくるゴミも多かったり、エネルギーをよく使う商品だったりして、地球にだってやさしくない。
やはり、私にも地球にもお財布にも優しいのは、安くて、昔からあって、単機能で、全然すごくない商品であることが多い。
先月かったヘアブラシだって、1年に1度買替が必要らしいのですが、それでも年間にかかるお金は3000円程度でしかなく、ヘアブラシなんて昔からあるモノ。
けれど、このブラシで朝晩ブラッシングをし始めて、最近夫に髪を褒められる。
即効性のある、すごい効果のある、そんな商品ではないのです。
毎日髪を梳かすというただそれだけの地味な作業が、今私の髪を褒められ髪にしてくれている。
暮らしを変えてくれるのって、実はこういう全然「すごくない商品」、普通の、地味な商品なのだと思います。
先日こんな記事も書きました。
丁寧な暮らし、始末のいい暮らしをするには、「モノを使いつくすスキル」つまりは、今あるモノで暮らしていくスキルが必要なのだと。
今あるモノを使いつくせば、買わずに済むものも増えるので、雑多なものが増えにくいのです。
とはいえ、買い物ゼロというのは少々どころか無理に近いほど難しい。
自給自足と物々交換で暮らしている!なんて人でない限り、日々何かしらモノやサービスを買って生活しています。
だからこそ「何にお金を支払うか」そこにその人の人となりや暮らし方が表れてくるように思えるのです。
全然すごくない商品のヘアブラシにお金をかける人、今話題のヘアケア商材にお金をかける人。
話題の商材は一日でつるつるウルウルにしてくれるかもしれません。
けれどあまりに早期解決過ぎて、それさえ使えばOKという風に思ってしまう。
一気に解決しすぎて、原因がわからぬまま、いやむしろわかろうとしないままになる。
だから問題を解決してもしてもまたすぐ髪は傷んでくる。
髪が傷めば、また同じ商材を買い、傷ませ、またヘアケア商材を買い…と無限ループ。
お金もどんどんかかるし、ケアする時間も合計すれば相当の時間になる。
昔の私のことです (´∀`*)ウフフ
すごい商品は、使うその時一瞬を見れば、すごいけれど長い目で見れば、ブラシ1本のケアの方が楽で、コスパも良くて、リバウンドしない分効果も高い。
お金も時間も限りがありますから、そういう「すごい商品」をヘアケアに、スキンケアに、洗濯に、掃除に、料理に使っていれば丁寧に暮らす気持ちの余裕も、お金の余裕も、時間の余裕もなくなってくるのだと最近気づきました。
丁寧な暮らしってすごく手間のかかる暮らしのようで、長い目で見るとヘアブラシ1本でのヘアケアのようにすごく楽な暮らしなのかもしれません。
簡素な暮らしを通して豊かに生きたい、美しく生きたいと願う私には、丁寧な暮らしと呼ばれる方々の暮らしぶりは憧れる部分も多いです。
そんな暮らしに近づくためには…「すごい商品」をなるべく買わないことが鍵なのかもしれません。